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「味の記憶」を残すために、今からできること。

自遊人編集部
〜 『自遊人』特集「伝えたい味。」より転載〜

2019.01.28

Index

小豆島で150年続く「ヤマロク醤油」の晩ごはん。郷土の味「かきまぜ」。

蔵の味を受け継いで

桶作りを未来へ伝える

100年以上前、明治初期に建てられたヤマロク醤油のもろみ蔵は、国の登録有形文化財にも指定されています。木造平屋で床は土間、壁は土壁。梁や土壁は木桶以上に菌の宝庫。100種にも及ぶ酵母菌や乳酸菌が生息しています。
ヤマロク醤油のもろみ樽は三十二石(約 6,000ℓ)の大杉樽。1つ1つが手作りで、 直径約2m30㎝、高さ2mの大杉樽が 40樽。約2/3の大きさの樽が22樽あります。150年以上経過していますが、丁寧に使えばさらに孫の代まで使えます。

小豆島で150年続く「ヤマロク醤油」の晩ごはん。郷土の味「かきまぜ」。

「小豆島の郷土料理といえば 「かきまぜ」。炊き込みごはんじゃなくて、ご飯と味付けした具を別々に炊いて、後から混ぜるんです。お祭りといったら、みんなで「かきまぜ」を食べる。 運動会には、「かきまぜ」のおにぎり。大事な行事の時には必ず食べますね。じいちゃんも、 ばあちゃんも子どもも、年齢、 性別問わず、みんな大好きな島民のソウルフードですね」
と熱く語るのは、ヤマロク醤油・5代目の山本康夫さん。
 
作り方も使う食材もいたってシンプル。にんじん、鶏肉、シイタケなど、身近な具材を細か く刻んで、醤油と出汁で煮て、 炊きたてのアツアツご飯に混ぜるだけ。昆布の出汁にいりこの出汁、さらに具材の出汁と醤油の風味が何層にも重なって、食べ始めたらやめられない止まらない、「おかわりーー!」の声が、 食卓のあちらこちらから響きます。

「私らが育った地域では、ほんの少し砂糖を入れたけどな。でもお嫁に来た安田地区では砂糖は入らんかった」 「海老が多すぎると、魚くさいと言って、子どもらは食べんね」 「康夫は小さい時から料理が好きやった。大学で東京に出るとき、料理の本を持たせたね。餃子とか一緒に作ったりしたけど、かきまぜを作ったことはなかったかもしれんなあ」 ……そんな具合に、かきまぜを通じて昔の味の記憶も蘇り、食卓に話の花が咲きます。
「味の記憶」を残すために、今からできること。

蔵の味を受け継いで

ヤマロク醤油があるのは、島の東側、有形文化財や近代化産業遺産の建造物が集積する「醤の郷」エリア。瀬戸内らしいのんびりとした風情が残る安田地区です。
醤油の製造を始めたのは昭和 25 年からですが、それ以前から長くもろみの製造を行っており、その歴史は150年を数えます。「島で就職しようと佃煮メーカ ーに入ったら、大阪、東京と転勤が続いて、島では一度も働くことはなく。結局その会社は辞めて、島に戻ってきました」 と康夫さん。

蔵に入ったものの、 「醤油造りについては、親父は何も教えてくれなかったんです。例えばもろみの撹拌の作業は、1年目は一緒にやったけど、 2年目は「今日はあの桶を混ぜ、 あれは混ぜんでええ」と指示だけ出て、3年目は「好きに混ぜ」 と、それだけ。わからないから、 他の醤油屋に聞きに行ったり、 発酵試験場に行ったりもしましたけど、4年目に親父が倒れて、そこでスパッと代がわりしたので、4年目からは撹拌の仕方をそれまでの蔵のやり方から変えたんです」
 
4代続いたものを変えるには、相当の勇気がいったのでは?と尋ねれば 「こうした方がいいんじゃないかな?と軽い気持ちでした。当時は、醤油造りに精通していたわけじゃないから、思いきってできたんでしょうね(笑)」
「味の記憶」を残すために、今からできること。

桶作りを未来へ伝える

山本さんが現在奔走しているのが「日本の食を未来へつなぐ」 ための木桶職人復活プロジェクト。
 
乳酸菌や酵母菌など「微生物の力」によって造られる発酵調味料は、江戸時代まではすべて、「木桶」で醸造されていました。
しかし、扱いやすさやコストの問題で、時代とともに木桶による醸造は減少。現在、木桶を使った天然醸造による醤油や味噌の生産量は全体の1%以下まで落ち込み、醸造用の木桶を生産する桶屋さんも残すところ1社のみというのが現実です。 「危機感を感じて、新桶を9本発注したんですが、その時、〝醤油屋から発注が来たのは、戦後初だ〟といわれました」
 
木桶の寿命は一般的に100 〜150年。現存する木桶の寿命を考えると、 50 年後にはすべての木桶が使えなくなってしまうという計算になります。 「ただ桶がなくなる、という単純な話じゃない。和食を最大限に引き立てる〝本物の基礎調味料がなくなる、、、ということです。 先祖代々受け継がれた伝統を残すことは、「味の記憶」を残すこと。それが、自分たちの代で途絶えるかもしれない、子どもや孫の代には、「過去」のものにな っているかもしれないんです」
 
そこで山本さんは、桶屋の門をたたきます。 「残る1社も2020年には会社をたたむと宣言していて、もう後がない。だからプロジェク トを立ち上げて、仲間の大工2人と一緒に桶屋に修行に行き、 今では自分たちで新しい桶を作り始めているんです」
 
この活動は静かに、でも確かに、動き始めています。 「新桶の納品も始まっているし、 今年に入って 10 社を超える視察もありました。小さな蔵がつながって付加価値の高い「木桶= KIOKE 」を世界に広めたいと考 えています。それが、未来の子ども達に味の記憶を残すことになる。今やらなければ、こんな に旨い「かきまぜ」もいずれ食べられなくなってしまうんです」

(雑誌「自遊人」2015年5月号に掲載)
「味の記憶」を残すために、今からできること。
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