美しく、うっとりする巻き心地。伝統織物に新たな息吹をふきこんだ 世界でひとつの「tamaki niime」ショール
自遊人オーガニック・エクスプレス
2019.11.20
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伝統織物「播州織」を独創的に再生させた美しいショール
柄も染めも唯一無二。世界でひとつの一点ものオリジナル
ふんわりと肌に優しく、うっとりするような巻き心地
玉木新雌さんのショールは、こちらからご購入いただけます
伝統織物「播州織」を独創的に再生させた美しいショール
「日本のへそ」と呼ばれる日本列島の真ん中。兵庫県の北播磨地域に位置する西脇市は、播州織の産地としても有名な地域です。
糸を先染めし、その染め上げた糸で布を織る「先染織物」という手法で知られる「播州織」。今から200年以上前に、宮大工の飛田安兵衛が京都から持ち帰った技術を基礎として産まれたと伝えられています。
この地域では、江戸時代中期より、温暖な気候を生かした綿花栽培が行われており、その綿花を使った織物が盛んになっていったそうです。加古川、杉原川、野間川などの河川も流れ、染色に必要な水も豊富。染色に適した豊かな自然のなかで、発展していきました。
ですが播州織の生産量は、平成に入ると、バブル景気の崩壊や海外製品の流入などにより、特色の薄いシャツ生地製造業が主流となっていたそうです。
そんななか、伝統あるこの播州織に新しい息吹をふきこみ、大胆に再生させたのが玉木新雌さん。
福井県出身の玉木さんは、パタンナーとしてアパレルメーカーに就職した後に独立。作りたいものを探す中で出会った播州織職人の西門博文さんが、玉木さんを播州織の世界へと導いたそうです。
当初は大阪で、西門さんとの共同作業で作品を作りあげていましたが、のちに西脇市に移住。オリジナルブランド「tamaki niime」を立ち上げ、自ら思い描く生地を織るようになりました。
柄も染めも唯一無二。世界でひとつの一点ものオリジナル
四季折々の風景も美しい、自然に囲まれた地に建つアトリエ兼直営店で、ひとつひとつ手づくりされるショール。
最初は玉木さんも、シャツ生地作りからはじめましたが、あるとき、縫うことが難しいほどの柔らかい生地ができあがったことが、ショールづくりをはじめるきっかけになったそうです。
作業は糸を染めるところからはじまります。
染め方は、玉木さん独特のもの。普通は糸を均一に染めるのですが、玉木さんは、わざとムラが出るように染めていきます。それにより生地の見え方や表情が、より豊かになるのだそうです。
糸が染め上がると、ヴィンテージものの機械を使い、「tamaki niime」の大きな特徴である、柔らかでやさしい生地を織り上げていきます。
あらかじめデザインを決めてから織り上げるのではなく、ふたつと同じ柄は生成されない織り方で製造。そのため、1枚1枚異なる唯一無二のデザインが生まれます。いわば、玉木さんの作品です。
生地ができあがると、1枚ずつ縫い上げ、洗って天日干しをして仕上げます。
「着ける人を軽やかにするもの」「この地でしか織れないもの」。
玉木新雌さんの思いがこもった、オンリーワン播州織ショールの誕生です。
ふんわりと肌に優しく、うっとりするような巻き心地
柔らかすぎるほどの生地は、ガーゼのようにふんわりとした風合い。おどろくほど肌に軽く、うっとりするような巻き心地で、肌を優しく包み込んでくれます。肌が敏感な方もストレスなくまとえ、心までほっこり優しくなれそうです。
オーガニック・エクスプレスで販売するショールは、「tamaki niime」のショールのなかでも、いちばん小さく使い易いサイズ。
長さは約130cmありますが、首に巻くと意外とコンパクト。汗の吸収もよくご家庭で洗濯もできるので、軽い運動のタオル代わりにも使えます。
柔らかで色鮮やかなショールは、独特の色合いが美しく、現代的な色合いで、老若男女を問わずに、布を楽しんでいただけます。
製法上、ふたつとない柄のため、「暖色系」や「紫系」などの色味系統での販売です。
美しい色合いは装いのアクセントになって使いやすく、いくつかの系統の色を持っていると、いろんなバリエーションを楽しめます。
一度まとうと手放せなくなる着心地に、国内のみならず海外にもファンが多いショール。性別も年齢も問わないデザインで、老若男女どなたにも、また季節を問わずお使いいただけます。心をこめた贈り物にもふさわしい唯一無二の逸品です。
今では、原料であるコットンの栽培も手がけるなど、常に新しいものづくりに挑戦を続ける玉木さんの作品。ぜひその着心地を、試してみてください。
玉木新雌さんのショールは、こちらからご購入いただけます
伝統織物「播州織」を独創的に再生させた美しいショール
糸を先染めし、その染め上げた糸で布を織る「先染織物」という手法で知られる「播州織」。今から200年以上前に、宮大工の飛田安兵衛が京都から持ち帰った技術を基礎として産まれたと伝えられています。
この地域では、江戸時代中期より、温暖な気候を生かした綿花栽培が行われており、その綿花を使った織物が盛んになっていったそうです。加古川、杉原川、野間川などの河川も流れ、染色に必要な水も豊富。染色に適した豊かな自然のなかで、発展していきました。
ですが播州織の生産量は、平成に入ると、バブル景気の崩壊や海外製品の流入などにより、特色の薄いシャツ生地製造業が主流となっていたそうです。
そんななか、伝統あるこの播州織に新しい息吹をふきこみ、大胆に再生させたのが玉木新雌さん。
福井県出身の玉木さんは、パタンナーとしてアパレルメーカーに就職した後に独立。作りたいものを探す中で出会った播州織職人の西門博文さんが、玉木さんを播州織の世界へと導いたそうです。
当初は大阪で、西門さんとの共同作業で作品を作りあげていましたが、のちに西脇市に移住。オリジナルブランド「tamaki niime」を立ち上げ、自ら思い描く生地を織るようになりました。